「合気道は役に立たない」は本当? "護身術にならない"という疑問と、本当に使える技にするための稽古とは

「合気道は護身術になる」と聞き稽古を始めたものの、ふと**「合気道 意味ない」「合気道 役に立たない」**という言葉を目にすることがあります。なぜ、このような疑問が生まれるのでしょうか?

それは合気道が劣っているからではなく、その稽古の段階や目的が、外からは見えにくいことに起因します。結論を言えば、合気道は稽古の進め方次第で、非常に優れた護身術になり得ます。

この記事では、なぜ「護身術にならない?」という疑問が生まれるのか、その背景を紐解き、技を本当に使えるものにするために**「組手の必要性」**がいかに重要かを解説します。

なぜ「合気道は護身術にならない?」という疑問が生まれるのか

合気道の稽古は多くの場合、まず「型稽古」から始まります。これは技が成立するための身体の使い方、力の流れ、姿勢といった根源的な「理合い」を、安全かつ正確に学ぶための、非常に重要なプロセスです。

この型稽古は、洗練された美しい動きが特徴です。しかし、この段階だけを見ると、動きがお互いに協力しているように見え、「本気の相手に通用するのか?」という自然な疑問が生まれることがあります。「合気道が役に立たない」という印象は、この稽古の初期段階や一部分だけが切り取られて語られることで生まれがちなのです。

 

「型」は設計図。実用には「テスト」が必要な理由

武道の技を学ぶことは、家を建てることに似ています。

型稽古は、いわば家の「設計図」を学ぶ段階です。柱の立て方、壁の作り方、力の流れ。完璧な設計図がなければ、家は建ちません。しかし、設計図を理解しているだけで、嵐に耐える家が建てられるわけではないのです。

その設計図を元に、実際に木材を組み、釘を打ち、風雨に晒してみる「テスト」が必要になります。この**テストこそが「組手」**です。

 

組手の必要性は、型で学んだ理合いが、予測不能な状況下で本当に機能するかを検証するためにあります。相手が力を込める、タイミングを外す、想定外の動きをする。そうした揺さぶりの中で、設計図通りにはいかない部分を修正し、自分のものにしていく。このプロセスなくして、技が「知っている」から「できる」へと変わることはないのです。

護身術として合気道を深めるための稽古とは

型という土台の上に、より実践的な家を建てるためには、さらに以下の稽古が重要になります。

 * 打撃の捌き

   現実の護身では、予期せぬ打撃は避けられません。掴み技だけでなく、飛んでくる打撃にどう対応するか。その感覚を養うことは、技の応用範囲を大きく広げます。

 * 武器術

   武器を持った相手との間合いや、そこから生まれる心理的な圧迫感は、素手の稽古だけでは学べません。武器術の稽古は、より厳しい状況を想定し、冷静な判断力を養うために不可欠です。

 * 組手(ランダム練習)

   前述の通り、これら全ての学びを統合し、テストする場が組手です。お約束のない、自由な攻防の中で自分の技を試す。この繰り返しが、生きた技を育てます。

 

稽古の目的と段階:自分に合った合気道との向き合い方

合気道を学ぶ目的は、本当に人それぞれです。

健康増進や、心を整えるための「道」として、型稽古を中心にじっくりと取り組むことは、非常に価値のある素晴らしい時間です。その道に優劣はありません。

 

ただ、もしあなたの目的が**「護身術」**であるならば。

その場合は、稽古の段階を意識することが大切になります。型の稽古で基礎を固めた上で、打撃、武器、そして組手といった、技を実用化するための応用・発展的な稽古へと進んでいく必要があります。

 

結論:合気道は稽古の深化で、優れた護身術となる

「合気道 意味ない」「護身術にならない」という言葉は、武道の全体像ではなく、一部分だけを見た時に生まれやすい誤解とも言えます。

 

合気道の持つ「相手を傷つけずに制する」という優れた思想と技は、型で理合いを学び、組手で試し、様々な状況を想定して稽古を深めていくことで、初めて現実の力となります。その道は決して楽ではありませんが、探求するに値する奥深いものです。

例えば覇天会合気道では、この「理合いの探求」と「実用性の検証」を両輪として捉え、型稽古はもちろん、組手や打撃、武器術までを体系的に稽古しています。護身という目的を真剣に考える方にとって、その学びを深めるための道筋がここにあります。もしあなたが本気で護身としての合気道を考えるなら、覇天会やランダム練習、打撃の捌きのある合気道道場の門を叩いてみてください。

 

きっとよい学びが得られるはずです。