【武術探訪録】二十二歳の掌底:合気道の身体が、東京の実戦派道場で「応えた」日 覇天会 藤崎天敬師範
著者紹介:藤崎 天敬(ふじさき てんけい) 福岡県出身の合気道家(武道家)。合気道流派「合気道覇天会」創始者であり、同会宗家 兼 筆頭師範(範士八段)。合気道選手権大会本戦トーナメント優勝3回など、競技実績も多数。本稿は、氏が自身の流派を創設する以前、二十二歳から二十三歳頃の若き日に、更なる武術的探求のため東京の実戦派中国武術道場での稽古に参加した際の貴重な体験と、そこから得た考察をまとめたものである。(身長180cm、体重92kg当時は10キロは軽かった)
若さゆえの探求心か、有り余るエネルギーのなせる業か。合気道の稽古に明け暮れていた二十二の頃、私はふつふつと湧き上がる実戦的な打撃攻防への関心に突き動かされ、ある道場の門を叩いた(習いに行った)。東京にあったその中国武術道場は、「実戦」を看板に掲げ、他流派ウェルカム!と門戸は開かれていたものの、その中身はピリリと真剣そのものだった。
道場に足を踏み入れると、そこには汗と熱気、そして真剣な稽古だけが醸し出す、あの独特の「道場の空気」が満ちていた。ここでは「散手(さんしゅ)」と呼ばれる組手稽古が盛んに行われていたが、それは当時の一般的なキックボクシングなどとは少し毛色が違う。特筆すべきは、防具なし、素面(顔面防具なし)素手で行われる点だ。顔面への直接打撃も当然「あり」。ただし、基本的な打撃の主役は拳ではなく「掌」、つまり掌底(しょうてい)。これは、拳で殴り合うより怪我のリスクは低い…とはいえ、本気でやれば当然痛い。そんなギリギリの実戦感覚を養う工夫なのだろう。
その技術体系の中でも、ひときわ異彩を放っていたのが**「両手掌底による突き飛ばし」**だった。これは単なる「押し合い」とはワケが違う。両の掌に全身の力を集約し、相手の胴や胸部を捉えて文字通り「突き飛ばす」。喩えるなら、小型バイクがドンとぶつかってくるような…いや、それは過剰表現か。しかし、それくらいのインパクトを秘めた技で、まともに食らえば、よほど重心がしっかりした者でなければ、崩される。まさに、この道場の「看板メニュー」と言える技だった。
ところが、である。これほど道場の代表技として猛威を振るっていた突き飛ばしだが、不思議なことに、当時の私にはあまり効かなかったのだ。これはなぜだろうと考えてみるに、長年の合気道、そしてそれ以前に経験した柔道といった、いわゆる組技系武術の稽古で培われた身体感覚が、大きく影響していたように思う。相撲取りが立ち合いのぶちかましを受け止めるような、あるいは柔道家が組み際の圧力を捌くような、そんな**「接触した状態での力のやり取り」が、知らず知らずのうちに身体に染み付いていたのだろう。 相手が「押してくるぞ!」という圧力を感じた瞬間、身体が勝手に反応して、スッと重心を落としたり、足を捌いて力を斜めに受け流したりしていたようだ。まるで、それまでの合気道の稽古が、この道場の必殺技に対する「天然のワクチン」**になっていたかのような、個人的には実に興味深い発見だった。
もちろん、この道場の魅力は突き飛ばしだけではない。例えば、先生が**「餅を引きちぎるように打つ」**と表現した、鋭く打ち下ろす単発の掌底。これもまた、ズシリと体重が乗り、的確に急所を捉えれば、なかなかの破壊力を持っていた。 ただし、誤解しないでほしいのだが、これは決して仙人めいた神秘のパワーなどではない。例えるなら、鍛え上げられたフルコンタクト空手の拳士が放つ、魂のこもった逆突き。あれと同じ、地道な鍛錬が生み出す、純粋に物理的な「効く」打撃なのだ。実際、私も一度、指導員クラスの方からこの掌打を胸に受けたことがある。それなりに内側に響く衝撃で、後で触ってみると胸骨のあたりに、なんとも言えない「コリッ」とした感触が残った(軽い軟骨損傷でも起こしていたのかもしれない。若さゆえの無茶である)。まあ、こちらも負けじと一発お返ししたので、その場は痛み分けといったところか。 また、打撃だけでなく、まるで太極拳の推手(すいしゅ)を思わせるような、互いの腕を触れ合わせた状態から始まる、粘っこい攻防技術も見られた。接触点からの感覚を研ぎ澄まし、相手の力の流れを読み、受け流し、利用して崩していく。これもまた、高度な感覚と繊細な操作を要求される、奥深い技術体系だった。 さらに、道場にはフルコンタクト空手の黒帯を持つ指導員も在籍しており、この方も強かった(先の掌打の方とは別人)。ただ、個人的な印象を正直に言えば、その強さの源泉は、そこで教わる中国武術の技術というより、彼が元々持つフルコンタクト空手の頑健な肉体と打たれ強さ、そしてこの道場での「顔面あり素手」というスリリングな稽古経験が掛け合わさった結果のように思えた。 しかし、それでもなお、道場の技術として最も私の記憶に焼き付いているのは、やはりあの一撃に気迫を込めた、両手掌底による突き飛ばしであった。
さて、ここからが本日のメインディッシュだ。ある日の組手稽古。私の前に立ったのは、この道場で中国武術を学びつつ、外部では日本の少林寺拳法で三段の腕前を持つという人物だった。つまり、中国武術と日本武術、双方の「DNA」を持つ、リアル異種格闘技戦の様相である。その構え、漂う雰囲気から、相当な手練れであることは一目で分かった。 組手が始まる。間合いが詰まる。一瞬の交錯。相手が私の左腕を右手でガシッと逆手に掴んできた!――その瞬間、考えるより先に身体が動いていた。頭で考える暇はない。長年染み込ませた合気道の「技」が、勝手に再生される。 掴まれた腕を起点に、相手の肘関節に梃子(てこ)の原理を効かせる合気道の技、逆手取り第二教の形。相手の腕が「く」の字に折れ曲がり、関節が極まる――まさにその刹那! 「あ、立ち関節は禁止だった!」
雷鳴のように、師範の注意が脳裏に響いた。「立ち関節はダメだからね!」 危ない!咄嗟に技を解き、力を抜いた。それでも、相手は完全にバランスを失い、片膝から「ビターン!」と派手な音を立てて床に崩れ落ちた。 だが、相手もさるもの、引っ掻くもの。少林寺拳法三段は伊達じゃない。崩れた低い体勢から、今度は私の足元に食らいつき、足首あたりを捉えて引き倒しにきた!寝技に持ち込もうという算段か。 瞬間、またしても身体が勝手に動いた。今度は攻撃ではなく、防御。合気道の稽古で、それこそ何千回、何万回と繰り返した**「受け身」が飛び出したのだ。相手が引く力を利用して、クルリと前方へ。まるで長年連れ添った相棒のようにスムーズな前方回転受け身**で、攻撃を華麗にいなす。我ながら、ちょっとカッコつけすぎたかもしれないが、まるで往年のカンフー映画のワンシーンのような動きだった。
ここまで、ほんの数秒。息もつかせぬ攻防だった。回転からスッと立ち上がり、相手と再び対峙した瞬間、なぜか私の視線は道場の隅に立つ師範へと吸い寄せられた。 そして、見たのだ。 師範の顔に浮かんでいたのは…まさに**「唖然呆然」。ポカンと口を開け、目を丸くして、こちらを凝視している。 禁じ手(立ち関節)を使いかけたことへの呆れか、予想外の体捌き(受け身)への感嘆か、あるいはその両方が入り混じったものか…。真意は分からない。だが、あの瞬間の、まるで時間が止まったかのような師範の驚きの表情。それが、この日の稽古を締めくくる、何よりも強烈な「オチ」**として、私の記憶に焼き付いている。
この一連の出来事は、まだ二十二歳の若造だった私にとって、実に多くのことを教えてくれた。「実戦」を謳う中国武術の懐で、図らずも合気道の身体が「使える」ことを実感し、同時に少林寺拳法の粘り腰にも触れることができた。そして何より、異なるルール、異なる技術体系が出会ったとき、そこにどんな化学反応が起きるのかを、身をもって体験できたのだ。
総じて、この道場は基礎から段階的に技術を教え、組手も積極的に行う、良い稽古場だったと思う。 ただ、個人的な見解として、素面素手での組手という形式については、少し思うところもあった。素面で顔面への打撃が「あり」となると、どうしても互いに警戒心が強くなり、結果として「睨み合い」や「探り合い」に時間が割かれがちになる。もちろん、それもリアルな実戦感覚を養う上では重要だろう。しかし、打撃の「当て勘」やコンビネーションそのものを磨くという点では、むしろ最初は安全な防具をつけて思い切り打ち合える環境を作り、慣れてきたら徐々に防具を外していく方が、ステップアップとしては効率的なのではないか? そんな風にも感じたのだ。これはあくまで、当時の私が感じた個人的な感想に過ぎないが。
また、教わった技を実際の組手でどう使うか、その「応用編」については、個々人のセンスや経験に委ねられている部分も大きいように感じられた。様々なバックグラウンドを持つ者が集う、自由な雰囲気の道場ならでは、とも言えるかもしれない。 武術の「理(ことわり)」は、本当に多様だ。一つの流派、一つの技だけが絶対ではない。それぞれの流派に有効な理論があり、それを使いこなす人間の身体があり、咄嗟の判断がある。 あの日の師範の驚いた顔は、そんな武術の奥深さ、面白さ、そしてちょっとしたユーモアを、二十年以上経った今でも鮮やかに思い出させてくれる。若き日の、熱く真剣だった稽古の日々への記憶と共に。