覇天会合気道 藤崎天敬師範の実践経験 ~40名の伝統合気道家との乱取り経験を通じて~

私が歩んだ「実戦合気道」への道――伝統との対話、そして自らの心と向き合った日々

 

真の強さとは何か。武道の探求とは、その問いへの終わりのない旅路です。私が追い求める「実戦で活きる合気道」。その道のりにおいて、私の血肉となり、合気道観の礎を築いたのは、数多の試合と魂をぶつけ合う「組手(乱取り)」の経験でした。その中には、延べ40名近くにものぼる伝統合気道の修行者の方々と、真剣に手を取り合った貴重な時間も含まれています。

この記事では、その得難い経験を通じて見えてきた武道のリアルな一面と、そこから私が何を学び、自らの稽古や指導の糧としてきたのか、その心境を率直にお話ししたいと思います。


藤崎 天敬(ふじさき てんけい)プロフィール

福岡県出身の武道家。実戦合気道を標榜する「合気道覇天会」の創始者であり、宗家 兼 筆頭師範を務める。覇天会範士八段。

  • 主な実績: 合気道選手権大会 本戦トーナメント 優勝3回、準優勝1回、優秀賞1回

  • 段位: 武道・格闘技において計18段を取得

  • 体格: 180cm、92kg

  • 異名: プロ総合格闘家であり空手道剛柔会形世界チャンピオンの福山博貴氏より**「進撃の合気」**の異名を授かる。

 

探求の黎明期:伝統合気道家たちとの邂逅

 

私が「実戦」というテーマに深く傾倒し始めた18歳から33歳にかけての約15年間、様々な背景を持つ伝統合気道家の方々と組手を行う機会に恵まれました。その数は、延べ40名近くに及びます。彼らとの稽古は、私にとって自らの合気道を問い直し、磨き上げるための、またとない「鏡」となりました。

正直に申し上げると、一人ひとりとの組手の詳細をすべて記憶しているわけではありません。当時の私は、平日ですら日に2度、週末には3度の稽古に明け暮れ、組手は日常の一部、いわば呼吸をするのと同じくらい自然な営みでした。特別なことでなかったからこそ、すべての記憶が鮮明なわけではないのです。しかし、その一つひとつの積み重ねが、間違いなく今の私を形作っています。

ただ、私が求める「実戦」という頂への道のりにおいて、外部の伝統合気道家の方々との組手が、常に学び多きものであったかと言えば、必ずしもそうではありませんでした。それは多くの場合、お互いの目指す方向性や稽古の密度に隔たりがあり、私が相手の方の安全に配慮し、技の威力や速度を調整する必要があったためです。

もちろん、私が所属していた団体には、日々鎬を削り合う強靭な仲間が常にいました。彼らとの組手こそが、私の技術を飛躍させた揺るぎない土台です。ここで語るのは、あくまで外部の方々と手合わせした際に、しばしば見受けられた傾向についてです。相手は20代から50代、初段から五段までと、実に多彩な方々でした。

 

 

なぜ打撃を交えなかったのか

 

組手は、互いの安全を確保し、純粋な合気道の理合を探求するために、打撃を含まないルールを基本としました。私自身、実戦において打撃は不可欠な要素だと考えています。しかし、だからこそ、相手の方の安全を確信できない状況で打撃を交えることは、指導者として決してできませんでした。互いにとって危険が伴うだけでなく、武道の探求という本来の目的から逸れてしまうことを避けるための、熟慮の末の選択でした。

 

 

組手という鏡に映し出されたもの

 

多くの方との組手を通じて、いくつかの共通した傾向が見えてきました。それは、私にとって合気道のあり方を深く考えるきっかけとなりました。

1. 「実戦」という未知への戸惑い 多くの方が、自由な攻防を前提とした組手の形式に慣れておらず、開始と共に動きが硬直し、無意識に後退を繰り返される姿が印象的でした。「試合はルールに縛られる」という意見も耳にしますが、私が見てきた現実は、ルールの以前に、予測不能な状況への対応経験そのものに大きな差があるという点でした。それは、ただひたすらに相手から距離を取ろうとしたり、接触した瞬間に腰が引けて手で強く押し返そうとしたり、といった無意識の反応に現れていました。

2. 気質が映す、それぞれの「型」 その戸惑いへの反応は、方の気質によって二つに分かれる傾向がありました。多くの方は防御に徹し、動きが止まってしまわれる。一方で、一部の気の強い方は、自分が稽古で慣れ親しんだ特定の基本技(例えば一教や四方投げ)を、状況を問わずひたすらに繰り返されるのでした。変幻自在な攻防の中で技を組み立てるのではなく、拠り所とする一つの「型」に固執される姿は、実戦の奥深さを物語っていました。

3. 理想と現実の狭間で 興味深かったのは、実戦経験の多寡と、ご自身の技への自信との間に、必ずしも相関関係が見られなかったことです。組手の経験がほとんどないにも関わらず、「一時間でもやりたい」と長時間の組手を希望される方も少なくありませんでした。

組手は、たとえ数分でも凄まじい心身の消耗を伴います。長時間を希望されるその情熱の背景には、実戦というものの厳しさに対する認識と、現実との間に少し隔たりがあったのかもしれません。

ある時、長時間の組手を希望された方がいました。まずは腕試しにと3分間の組手を行ったところ、1分で疲労の色が見え始め、2分後には肩で息をされている状態でした。継続の意思を尋ねると、「もう十分です」と自ら中断を申し出られました。カップ麺にお湯を注いで待つほどの時間でさえ、実戦の場では永劫にも感じられるほどの消耗を強いるのです。この「認識」と「現実」のギャップこそ、多くの修行者が直面する壁なのかもしれません。

4. 己と向き合うことの難しさ 私が安全に配慮しながら技をかけ、何度か制する形になった後、「あれは合気道ではない、ただの力技だ」という言葉をいただいたこともありました。一度も相手を崩すことができなかった状況で、相手の技を否定してしまうその心情。武の道は、相手と向き合うと同時に、何よりも自分自身の弱さや未熟さと向き合う道でもあります。その厳しさ、そして難しさを改めて痛感させられた出来事でした。

5. 変化の兆し しかし、組手を通じて自らの現在地を肌で感じ、そこから新たな気づきを得る方もいらっしゃいました。組手前はご自身の技量を雄弁に語られていた方が、組手後には「ご宗家は…」と、どこか謙虚な姿勢で接してくださるようになったこともあります。その態度の変化は、言葉以上に多くのことを物語っていました。組手という真剣な対話が、人の心に変化をもたらす瞬間を目の当たりにしたのです。

 

 

特に記憶に残る、ある日の稽古

 

長年の指導の中で、忘れられない出来事があります。それは、ルールや技術論以前に、武道家としての「姿勢」を深く考えさせられた経験でした。

ある日、体験に来られたのは、伝統空手の心得もあるという50代の合気道三段の方でした。体格は私の方が身長で10cm、体重で30kgほど上回っていましたが、ご本人は打撃ありの組手を強く希望されました。

しかし、安全面を最優先し、参加者全員の前で改めて「打撃なし」のルールを丁寧に説明し、同意を得てから組手を始めました。やはりお互いの稽古の練度には差があり、私は相手に怪我をさせないよう、細心の注意を払いました。何度か技を決めさせていただいたその最中、相手は突然、禁止されていたはずの金的を蹴ってきたのです。

私は幸いにも冷静に対処できましたが、予期せぬ反則行為でした。組手後、その方は「手首が痛い。ルールが悪い」と不満を口にされました。私は静かに問いかけました。「ルールは事前に皆様の前でご説明しました。もし疑問があったのなら、なぜ始まる前におっしゃっていただけなかったのですか?」と。続けて、「私が手加減していたことにお気づきになりませんでしたか。もし打撃ありで、本気で打ち合っていたら、今頃どうなっていたと思われますか」と伝えました。その言葉に、相手はようやく状況を理解されたようでした。

最後にその方は「実は70代なんだ」と年齢を告げられました。年齢を重ねたことへの敬意を求めておられたのかもしれません。しかし、無償で道場を開放し、時間を割いて稽古をつけているこちらとしては、その尊大な態度と理不尽な要求に、正直、深く考えさせられました。

さらに悲しいことに、この一連のやり取りを見ていた指導員の一人が、こうした状況への対応に心を痛め、会を去ってしまうという事態も起きました。この出来事は、安全管理の重要性と共に、指導者としてどこまで相手に寄り添い、どこで一線を画すべきかという重い課題を私に突きつけました。これを機に、当会では現在、組手形式の稽古は原則として入会後、信頼関係を築いてから行うこととしております。

 

 

段位と強さの、見えざる関係

 

もちろん、素晴らしい実力を持った方々との出会いもありました。特に印象に残っているお二人がいます。

一人は、ボディビルが趣味という屈強な肉体を持つ他流派の二段の方。その方は組手後、「合気道にこんなに強い人がいるとは思わなかった」と素直な驚きを口にしてくださいました。もう一人は、空手の経験に加え、人生の修羅場をいくつも越えてきたような凄みのある方でした。段位はまだありませんでしたが、その胆力と対応力は、多くの高段者を凌駕するものでした。

これらの経験を通じて私が確信したこと。それは、伝統合気道における段位と、実戦における強さとの間に、必ずしも明確な相関関係は見られないという現実です。肉体的な強さや精神的な気概。それらは確かに実戦における重要な要素です。しかし、それだけでは複雑な状況を打開し、合気道の真髄を体現するには至らない。実戦の場では、それらを統合し、自在に運用する「組手技術」が不可欠なのです。

 

 

私自身の「原点」- 型への信奉と、その崩壊

 

なぜ私がここまで「実戦」にこだわるのか。それは、私自身がかつて「型こそが全てだ」と信じて疑わなかったからです。伝統合気道を10年ほど修行していた頃の私は、組手など邪道であり、型稽古さえ極めれば最強になれると本気で考えていました。

そんな折、ある師範から「型だけでは通用しない。試合に出れば一瞬で負けるぞ」と言われ、激しい反発を覚えたことを今でも覚えています。しかし、その後の人生で数多くの実戦経験を積む中で、かつて憤りを感じたその言葉が、紛れもない真実であったと認めざるを得ませんでした。

心のどこかで、「型のみで実戦を制する」という理想を体現する達人が現れることを、私は密かに期待していました。しかし、40名近くの有段者との真剣な組手の中で、その理想に出会うことは叶いませんでした。合気道を愛する者として一抹の寂しさを感じたのも事実です。しかし、武道家として、そして指導者として、この現実から目を背けることはできませんでした。

 

 

師の信頼に応えるために - 忘れ得ぬ一戦

 

組手には、技術の優劣だけではない、精神的な重圧がのしかかるものもあります。私が19、20歳で、まだ何者でもなかった頃のことです。当時師事していた師範の元に、ある他流派の若い有段者が体験に来られました。

その方は、あろうことか偉大な師範に対し、礼を失する質問を繰り返したのです。私が内心憤りを感じていたその時、師範は静かに、しかし鋭く私に一言だけ告げました。「藤崎、組手だ」。

師の命令は絶対です。ここで負けることは、私個人の敗北ではありません。師の顔に泥を塗り、私が信じる実戦合気道の価値を貶めることになります。凄まじいプレッシャーの中、私は無我夢中で相手に向かっていきました。終わった後も、師の期待に応えられたか不安でしたが、先輩から「相手を圧倒していたよ」と声をかけられ、心の底から安堵したことを覚えています。この経験は、私に技術以上の、武道家としての覚悟と忠誠心を教えてくれました。

 

 

覇天会が目指すもの - 伝統と革新の融合

 

これら全ての経験、成功も失敗も、喜びも苦悩も、全てが現在の「合気道覇天会」の礎となっています。伝統的な「型稽古」が培う美しい姿勢と体捌き。そして「組手」が養う、いかなる状況にも対応できる実戦的な力。この二つは、車の両輪であり、どちらが欠けても真の強さには到達できません。

覇天会では、顔面への手刀攻撃さえも認める、より実戦に即した「ユニファイド合気道ルール」を導入し、常に現実社会で通用する技とは何かを問い続けています。

組手や乱取りは、単なる強さ比べではありません。それは、自分自身と向き合い、相手を知り、互いを高め合うための「対話」です。この厳しくも尊い学びを、日々の指導を通じて伝え、真の意味で社会に貢献できる武道家を育成していくこと。それが、私の生涯をかけた使命です。