横浜発、"進撃の合気"は伊達じゃない! 異端児・藤崎天敬と覇天会の「凄さ」の正体
「合気道?ああ、受け身が上手くなるやつでしょ?」――そんな生半可なイメージは、この男の前では通用しないかもしれない。横浜に道場を構える実戦合気道覇天会、その創始者にして筆頭師範、藤崎天敬。範士八段、武道・格闘技歴しめて十八段。空手界の王者が敬意を込めて贈った名は「進撃の合気」。…なんだか、物々しい通り名だ。だが、その実態は、もっと面白く、そして少々「凄い」のかもしれない。今回は、そのヴェールを少しだけ剥いでみよう。武道マニアも、そうでないあなたも、読み終わる頃には「藤崎って、覇天会って、一体何者なんだ…?」と、頭から離れなくなっているはずだ。
合気道家の"異種格闘"序盤戦――いきなり伝説は始まる
武道家・藤崎天敬の物語は、型破りなエピソードと共に幕を開ける。若き日の彼は、合気道の枠に収まらず、実戦の匂いを求めて様々な「出会い」を重ねていた。
手刀飛び交う道場で「突き蹴り技、禁止!」…それでも勝つ男:
ある実戦的な合気道流派へ出稽古に赴いた時のこと。そこは手刀打ちと投げ技が主体の、古流柔術の系譜を汲む道場だった。相手方のルール(突き蹴り禁止、手刀と巻き込み系の投げあり)で、全国大会3位の実力者と手合わせ。鋭い手刀攻撃を冷静に捌き、懐に入ると伝家の宝刀「絡み回転投げ」(相手流派では後ろ腕絡みと呼ばれた)で一閃! わずか20秒足らずの出来事に、相手は「後ろ腕がらみって、本当にこんな風に実戦で決まるんですね…」と驚きを隠せなかったという。しかし、あまりに鮮やか(かつ危険?)すぎたのか、その後、藤崎師範の得意とする立ち関節技は「使用禁止」に。「いやいや、立ち関節技使えなくちゃ、何が俺の合気道だよ!」と、短期間でその場を後にする。流派の技術には敬意を払いつつも、己の信じる「道」は決して曲げない。この頑固さ、すでに片鱗を見せていた。
太極拳マスターとの一瞬の攻防、見抜かれた心:
実戦的な太極拳で知られる先生(当時50代)との出会いもあった。先生から不意に「組手(散打)をやってみようか」と誘われる。鋭い二段蹴りが飛んでくるが、藤崎青年(当時20代半ば)はこれを最小限の動きで捌き、電光石火の絡み回転投げから隅落としへ繋ぎ、瞬時に制圧。あまりの力の差に、ついその後は「手加減」をしてしまった藤崎師範の心を、先生は見逃さなかった。「藤崎君、途中から力を抜いたように見えたが…」。ドキリとしつつ「いえ、先生の気迫に…」とその場を収めたが、先生は彼が求めるものがここには無いと察し、別れを告げた。「先生は決して戦えない方ではなかった。型も見事、約束組手も巧み。何より20歳以上も年下の私に、ご自分から組手を申し出てくださった。その心意気に学ぶべきものを感じました」。単なる強さ比べではない、武道家としての器に触れた経験だった。
若き日の伝説と、次元の違う実力
「合気道は大器晩成」なんて言葉は、彼には当てはまらないのかもしれない。
「大器晩成」? いや、二十歳そこそこで完成形だった説:
独立前、一部打撃ありの合気道選手権で、19歳、20歳、21歳と、こともなげに三度の優勝を達成。「合気道の技、その一点だけなら、二十一の頃には、もうそれなりになってましたね」と本人は言うが、その「それなり」のレベルが尋常ではなかった。当時、入会した柔道三段の指導員が「私が柔道で一年間に投げられる回数より、今日一日、藤崎先生に投げられた回数の方が多いです…」と語ったという逸話が、その実力を物語る。もはや異次元、と言うしかない。
関東王者、わずか2分で12回タップ?!――次元の違いを見せつける:
藤崎師範が30歳頃のこと。他流派の合気道関東大会新人戦で優勝した、将来有望な若手選手が、覇天会の稽古を見学に来た。藤崎師範がスパーリングで次々と相手を制圧する様子を見て、半信半疑だったのだろう、「本当に、あのように技が決まるのですか?」と尋ねた。言葉で語るより、体で示すのが藤崎流。早速、合気道ルール(打撃なし)で手合わせが始まった。結果は…約2分間で、小手返し、肘締め、腕絡みなどが面白いように決まり、実に12回の一本勝ち(ただし後半は相手に配慮し加減したとされる)。相手はなす術もなかった。乱取り後、その大学生は「うちの流派には、先生のように極められる人は、おそらくいないでしょう」と、正直な感想を述べたという。藤崎師範は他流派への敬意を忘れず、「彼の流派の全国レベルは強いですよ」と付け加えたが、この一件は、彼の合気道がいかに「極める」ことに特化しているかを鮮烈に示したエピソードと言えるだろう。
アウェイでの挑戦――空手との邂逅、そして進化
畳の上だけではない。藤崎師範は、異なるルールのリングにも果敢に挑んでいく。
ローキックの洗礼、そして打撃への目覚め:
18歳の時、初めて出場した防具付き空手の全国大会。空手三段相手に二発顔面ヒットを奪うも、強烈なローキック一発で悶絶、敗北。「人生初の、本物のローキックの痛み…あれで打撃対応の必要性を骨身に沁みて学びました」。この痛みが、後の覇天会独自の「打撃を捌く合気道」の礎となる。負けたとはいえ入会4か月で優秀新人賞と防具空手茶帯をゲットした。
無級の合気道家、極真王者に挑む!――「担架送り」覚悟の激闘:
そして、あの伝説の(?)極真空手全国大会出場だ。二十六歳、フルコン空手無級の立場で、現役無差別級チャンピオンに挑む。試合前は「担架送り」を覚悟したという。王者の重爆撃のような打撃を、合気道の体捌きと必死の防御で耐え抜き、本戦はまさかの引き分け。延長戦、疲労困憊の中、相手の蹴り足を無意識に掴んでしまう。(「効いてたんじゃない、掴んじゃった動揺です!」とは本人の弁)。判定で敗れはしたが、トップレベルの打撃を体感し、渡り合った経験は、何物にも代えがたい財産となった。「間違いなく、現在まで戦った中でも五指に入る強さでしたね」。
種明かし? 合気道家の「戦略眼」
YouTubeに、打撃の捌き組手でフルコンタクト空手の選手やプロボクサーと対戦する動画をアップしたことがある。動画では、相手の打撃を捌きつつ、肘締めや絡み回転投げ、小手返し、隅落とし、さらには蹴り足を掴んでからの入り身突きなどで制圧してみせたのだが、コメント欄には「ヤラセでは?」という声も寄せられた。
動画の「ヤラセ疑惑」には、師範も苦笑い。「本気で殴られて対応できるようになるための稽古に、ヤラセなんて意味ないでしょ」と一蹴。そして、悪戯っぽく続ける。「実はね、フルコンルールだったら、当時の俺の打撃、あの空手家やボクサーより強かったんですよ」。
そのカラクリは?「相手の空手家は流派の特徴として遠距離の蹴りが上手い。逆に近距離の泥仕合が苦手。だからわざと懐に飛び込んでグチャグチャの打ち合いに持ち込んだ。ボクサーだって、顔面パンチ禁止のフルコンルールじゃ武器をもがれてる。相手の土俵で戦わない、これが鉄則(笑)」。ルールを熟知し、己の利点を最大限に活かす。これもまた、リアルな「実戦」だ。「ルールを知らずに試合に出て、ボクシンググローブのせいで何もできずに負けたこともある。あの時は自分がバカだと思ったね」なんて失敗談も、包み隠さず話すあたりが、また面白い。
強さの、その先へ――「掌握」と「和合」という名の理想郷
数々の実戦と試行錯誤を経て、藤崎師範が辿り着いたのが「掌握の境地(アブソリュートコントロール)」。相手の動きに合わせ、投げ、関節、打撃を流れるように連動させ、抵抗の隙を与えず完全に制圧する技術。しかし、それは暴力による支配ではない。相手を無用に傷つけず、しかし確実に無力化する。根底には「覇(強さ)」を磨き、それを「天(社会貢献や調和)」へと繋げる「覇天会」の理念がある。目指すは、圧倒的な実力と徳をもって争いを自然に収める「和合」の世界なのだ。
終わらない「進撃」――現在進行形の武人
藤崎師範の「進撃」は、現在進行形だ。近年では、顔面への手刀攻撃なども認めた、よりシビアな独自ルール「ユニファイド合気道」を制定し、自らも稽古に励む。「総合的な合気道の技術としては、今も進化中ですよ」。驚くべきは、このルールが年齢を超えて戦える可能性を秘めていること。「うちの64歳の二段の会員さんがね、この前、27歳の若者を組手で圧倒していましたよ」と嬉しそうに語る。熟練の技と術理が、若さやパワーを凌駕する。そんな武道の深淵が、覇天会にはあるのかもしれない。
横浜で、あなたも"共犯者"になる?
さて、藤崎天敬という異端の武道家と、覇天会という少し風変わりな道場。その「凄さ」の正体が、少しは見えてきただろうか? 型破りなエピソードの裏には、武道への純粋で真摯な探求心がある。
もしあなたが、ありきたりの日常に少し飽きているなら。もしあなたが、綺麗事ではない、リアルな「強さ」とその意味を、自分の体で感じてみたいなら。
横浜の覇天会のドアを叩いてみるのも一興だ。そこでは、様々なバックグラウンドを持つ人々が、それぞれの「実戦」に挑んでいる。
単なる見物人で終わるな。どうせなら、あなたもこの「進撃の合気」の、ある種の"共犯者"になってみてはどうだろう? きっと、あなたの知らない、刺激的な世界がそこには広がっているはずだ。
覇天会に興味が湧いた方へ
藤崎天敬師範が率いる「実戦合気道・覇天会」では、見学・体験の受付中です。初心者から他武道経験者まで、年齢・性別を問わず多様なメンバーが稽古に励んでいます。
「本物の技を、体で知りたい」 「打撃も、関節も、全部を極めたい」 「"強さ"と"理"の融合を、今こそ学びたい」
――そんなあなたを、横浜・覇天会が待っています。