『不可逆的攻撃』への警鐘:覇天会が語る合気道の実戦性と『掌握』の理念(安易な目つき金的論への警鐘を)

この記事では、合気道における“目突き・金的”の議論に対し、実戦性と倫理性の両面から警鐘を鳴らします。覇天会が実際に行っている稽古法やルール体系をもとに、真の実戦力とは何かを問い直します。

合気道の実戦性を語る上で、「目突き」や「金的」といった急所攻撃は、しばしばその有効性が取り沙汰されます。確かに理論上は、一瞬で相手を無力化しうる強力な手段に見えるかもしれません。
しかし、私たち合気道覇天会は、こうした危険な技の安易な肯定や、「合気道は目突き金的あり」といった言説に対しては、明確に懐疑的であり、倫理的な観点からも警鐘を鳴らしたいと考えています。
なぜなら、第一に、これらの技を実戦で確実に、かつ安全に(自らにとっても)使うことは、想像以上に困難であり、相応の厳しい訓練なしには極めて危険であること。第二に、相手に回復不能なダメージを与えかねない「不可逆的な攻撃」は、私たちが目指す武道の理念とは相容れないからです。
本稿では、なぜ覇天会が「目つき・金的」に頼らない実戦性を追求するのか、その理由と、私たちが考える真の実戦力、そしてそれを培うための具体的な稽古について、深く掘り下げていきたいと思います。

理想と現実:合気道の稽古体系
まず、多くの合気道道場における稽古の実際を確認しておきましょう。一般的に、空手やキックボクシングに見られるような、自由な打撃の応酬を伴う組手(スパーリング)は行われていません。また、目つきや金的は言うまでもなく、顔面への直接的な打撃や多様な蹴り技の反復練習も、稽古の中心ではありません。
この背景には、合気道が重視する理念と目的があります。第一に、「争わない」「和合」を旨とし、相手を打ち負かすことよりも、力を無力化し、調和を図ることを目指す武道であること。第二に、年齢や性別を問わず安全に修練できる「生涯武道」としての側面を重視していること。第三に、稽古の主眼が、合気道の原理原則(中心保持、呼吸力、体捌きなど)の体得と心身の鍛錬に置かれていること。これらの理由から、稽古は約束された動作を反復する「形稽古」が中心となり、当て身も技の補助的な役割として位置づけられることが多いのです。


実戦性の壁:「知っている」ことと「できる」ことの乖離
しかし、「練習しない技は、実戦では使えない」という原則は、武道においても厳然たる事実です。知識として知っていることと、瞬時に身体が反応し、効果的に技を繰り出せることの間には、大きな隔たりがあります。
覇天会筆頭師範であり創始者である藤崎が過去に手合わせした、少なくない数の他流派の合気道家(打撃系格闘技経験者を除く)の中にも、打撃への対応という点では、さらなる稽古や工夫が必要と感じられる場面が見られました。
この乖離は、顔面や金的といった危険箇所への攻防において、より深刻な問題となります。例えば、創始者である藤崎筆頭師範自身の経験ですが、武道キャリア初期(18歳、実戦合気道5級当時)、顔面・金的ありの空手家と対峙した際、安易にボディを攻めたところ、カウンターで顔面に強烈な打撃を受けました。この経験から、「打撃に不慣れな段階では、まず顔面防御を最優先し、相手の攻撃に対応できるよう慣れる必要がある」という、実戦に基づいた重要な教訓を得ました。(もちろん、攻防に習熟すればボディ攻撃も有効ですが、それは応用段階の話です。)
同様に、一見有効に見える中段回し蹴りも、金的攻撃が許容される状況下では、カウンターを受けるリスクが著しく高まります。(覇天会の組手では、中段蹴りは相手に掴まれ投げられやすいというリスクも認識されており、使用頻度は高くありません。技の有効性とリスクは常に表裏一体です。)


言葉と実践の距離:安易な言説への問い
こうした経験を踏まえると、巷で聞かれる「合気道は顔面金的ありだ」という言説には、慎重な検討が必要です。その言葉を発する者は、実際に顔面を打たれる痛みや恐怖、金的を狙われる緊迫感を経験し、真剣に対処法を探求してきたのでしょうか?
例えば、型稽古における顔面付近への形だけの当て身動作。これを実際の顔面攻撃と同一視することは、理論と実践を混同する誤解を生む可能性があります。また、師範が口頭で「本来はここで目つきが…」と技の理合を補足説明したことを、そのまま実戦での有効性や推奨と受け取るのは、早計と言わざるを得ません。言葉や形は重要な伝達手段ですが、実戦能力の証明にはなりません。

さらに重要なのは、相手からの攻撃への対処です。「目つき金的あり」と主張するならば、自身がそれらの攻撃を受けた際に、確実に防御・対処できるだけの訓練を積んでいるのか、という点が問われます。攻撃だけでなく、防御の備えなくして実戦性は成り立ちません。
打撃や顔面への攻防を重視する覇天会ですら、金的攻撃を含む組手を希望する選手は極めて少数である、という事実も示唆的です。この点を考慮すると、打撃や顔面攻撃への対応稽古が十分でない他の流派において、「金的攻撃を本格的に行っている」あるいは「金的あり」と主張することの現実性については、客観的な検証が必要でしょう。


ちなみに、私(藤崎)の組手経験では、金的蹴りに実戦的な有効性を感じるのは、やはり顔面・金的ありのルール下で厳しい稽古を積んでいる一部の空手家です。(打撃専門の空手家にとっても顔面金的に習熟する人は一部です。)金的蹴りに関してはジークンドーにも上手い人がいました。少林寺拳法にも技術はありますが、組手での応用力という点では異なるアプローチが見られます。打撃系格闘技の経験を持たない純粋な合気道家で、実戦的な金的蹴りを使いこなす方は、残念ながら現時点では寡聞にして知りません。これは、技の習得における実戦的稽古の重要性を物語っているのではないでしょうか。

実践の必要性:理論を現実に繋げるために
以上の考察から、「もし本当に『合気道には目つきや金的が含まれる』と主張するならば」という前提に立った場合、安全への最大限の配慮(防具・ファールカップ着用は絶対条件)の下で、顔面や金的への攻撃を含むスパーリング形式の稽古を導入・実践することが、その主張に責任を持つ上で論理的に必要となるのではないか、と私たちは考えます。一部の空手流派や中国武術等では、実際にそのような稽古が行われ、実戦能力の向上に寄与しています。言葉や理論だけでなく、実際の稽古を通じて有効性とリスクを検証する姿勢こそが、真の実戦性を追求する上で不可欠です。

覇天会の挑戦:実戦性と理念の両立
こうした実体験、リスク認識、そして実戦への真摯な問いと覚悟に基づき、私たち合気道覇天会は、「現実社会で通用する合気道」を追求するため、以下の実践を行っています。


「型」と「組手(乱取り)」の両立: 伝統的な「型」稽古を通じて、合気道の基盤となる身体操作と理合を深く修得します。これを基礎とし、防具等を活用した「組手」によって、実戦的な応用力、対応力、打たれ強さ、そして精神力を総合的に鍛錬します。
進化するルール「ユニファイド合気道ルール」: 2019年に導入・改訂されたこのルールは、より実戦に近い状況を想定しています。最大の特徴は、顔面への手刀攻撃を有効としている点です。これにより、顔面攻撃への防御意識と対応能力は着実に向上しています。これは、顔面という急所への攻防を安全管理の下で実践的に学ぶ重要な試みであり、当て身の実用性を高め、実戦的な状況への対応力を養うことを目的としています。コロナ禍の影響による稽古中断もあり、現時点では習熟度に個人差が見られますが、継続的な稽古により全体のレベルアップを図っています。

伝統と革新の先に目指すもの:『掌握』の境地
覇天会の稽古体系は、実戦や他流派との交流から得た経験と知見に裏打ちされています。私たちは、合気道の優れた「伝統」を尊重し継承するとともに、常に「革新」の精神をもって、その調和の中から実用的な技法を探求しています。「現実社会で通用する合気道」とは何かを問い続け、それを稽古の中で具現化していくことが私たちの使命です。
他流派の優れた武道家への敬意を忘れず、しかし自らの信じる道を着実に歩む。組手や乱取りで得た経験は、指導者・選手双方にとってかけがえのない財産であり、真の武道家育成のための礎となっています。

ここで、創始者である藤崎筆頭師範の「目つき・金的」に対する基本的な考え方を明確にしておきます。まず、これらの攻撃に対する**「防御」能力の習得は、実戦を想定する上で必須であると考えます。しかし、「攻撃」として、相手に回復不能なダメージを与える可能性のある「不可逆的な攻撃」(例えば、深刻な視力障害や生殖機能喪失に繋がりかねない攻撃)を用いることには、合気道の「和合」の理念、そして覇天会が究極的に目指す、相手を完全に制圧しコントロール下に置く「掌握の境地(アブソリュートコントロール)」**の観点から、明確に反対の立場を取ります。

顔面への手刀攻撃などを稽古するのは、相手を破壊するためではありません。あらゆる攻撃に対応しうる防御力と対応力を身につけ、その上で相手を無力化し、状況を完全にコントロールするためです。目指すのは、暴力の応酬ではなく、争いを終結させる力、すなわち「掌握」なのです。

覇天会のルール体系には、金的攻撃を有効とする「実践武術ルール」も存在します(金的防御修得のため)が、現状ではこのルールでの組手を希望する選手は極めて少数です。私たちは、安全確保を大前提としつつ、将来的に強い希望があれば、「ユニファイド合気道ルール」に金的ありバージョンを導入する可能性も検討しますが、それは本人の高い意識と覚悟、そして十分な技量があって初めて成り立つものです。(個人的見解としては、一般の生徒に課すものではなく、高段者・上級選手が任意で、実戦性の深淵を覗くために経験する選択肢だと考えています。)

覇天会としての結論:実践なき言葉に価値はない
結論として、覇天会としての『目つき・金的』に対する考え方を要約します。
* 『使えるか?』という問いに対しては、『顔面・金的ありの打撃スパーリング等、相応の実践的稽古なくして、実戦で有効に使うことは極めて困難である』。 理論や形だけでは、現実のリスクや対処法は体得できません。
* 理念としては、『和合』と『掌握の境地』に基づき、『不可逆的な攻撃』には明確に反対。 目的は相手の破壊ではなく、制圧とコントロールです。
* しかし、『防御』能力向上の観点からは、多様な攻撃を経験することが重要。特に顔面攻撃への対応は必須であり、『ユニファイド合気道ルール』の下で実践しています。 金的ありの稽古は、打撃重視の覇天会でさえ希望者が極めて少ないのが実情ですが、上級者が任意で希望する場合の道は閉ざしていません。


私たちは、言葉だけでなく実際の稽古を通じて合気道の実戦性を追求し、同時に高い倫理観を持って相手を制する武道を目指しています。合気道の可能性を信じ、伝統と革新の調和の中で進化し続ける。それが覇天会の道です。
最後に、私たちが提起したい問題があります。それは、時に聞かれる『目つき金的あり』といった言葉の重みについてです。実戦における急所攻撃は、理論上の有効性とは裏腹に、実行には計り知れない困難さとリスクが伴います。また、相手に回復不能なダメージを与える可能性のある技について語る際には、深い知識と経験、そして何よりも相手の尊厳に対する配慮が不可欠ではないでしょうか。

言葉は、時に現実の厳しさや技の重みを覆い隠してしまうことがあります。武道を探求する者として、私たちは常に自らの言葉と実践が一致しているか、そしてその根底に相手への敬意があるかを問い続ける必要があると考えます。真摯な探求心と深い洞察力、そして他者への敬意。これらがあってこそ、武道は真に価値あるものとして発展していくのだと、私たちは信じています。

ご興味を持たれた方は、ぜひ一度、覇天会の稽古を見学にいらしてください。理論と実践の融合、そしてその先にあるものを、共に探求できれば幸いです。


覇天会合気道 筆頭師範
藤崎 天敬



【ブログ記事のポイント構造図:「目つき・金的」と合気道の実戦性 - 覇天会の視点】

**[1] 問題提起:合気道の実戦性と急所攻撃**

├── ◆ 疑問:「目つき・金的」は理論通り有効か? 実戦で使えるのか?

└── ◆ 覇天会の基本的スタンス:安易な肯定論には【懐疑的・否定的】

├── 理由1: 実践の困難性・リスク
└── 理由2: 倫理観(不可逆的攻撃への反対)

**[2] 現状分析:なぜ疑問が生じるのか?**

├── ◆ 一般的な稽古の現実:
│ │
│ ├── 形稽古中心、安全重視
│ └── 打撃・急所攻防の練習不足 →「練習しない技は使えない」

└── ◆ 安易な言説の問題点:

├── 経験不足(痛み・恐怖の欠如)
├── 形だけ・口頭説明だけの誤解
├── 防御(捌く)視点の欠如
└── (覇天会ですら金的希望者少 → 他流派の現実は?)

**[3] 実践の必要性:言葉と汗**

├── ◆ 藤崎筆頭師範の実体験:
│ │
│ ├── 顔面攻撃の洗礼(vs 空手)→ 防御優先の教訓
│ └── 中段蹴りのリスク(vs 金的カウンター)

└── ◆ 他武道との比較(観察):

├── 実戦的稽古の効果(空手、ジークンドー
└── 実践的稽古の重要性を示唆

**[4] 覇天会のアプローチ:理念と実践の両立**

├── ◆ 理念的基盤:
│ │
│ ├── 合気道「和合」+ 覇天会「掌握の境地」
│ └── 不可逆的攻撃への明確な反対

├── ◆ 実践的稽古体系:
│ │
│ ├── 【型稽古】(基礎・原理) ←───┐
│ │ │ 両輪
│ ├── 【組手稽古】(応用・対応力) ←─┘
│ └── 【ユニファイド合気道ルール】(顔面手刀あり / ※金的は現在は禁止・希望があれば上級者は取り組み可能)

└── ◆ 目指す姿:実戦力 + 高い倫理観 = 真の武道家

**[5] 結論とメッセージ**

├── ◆ 覇天会のスタンス要約:
│ │
│ ├── 1. 実践的稽古なくして使用困難
│ │
│ ├── 2. 不可逆的攻撃には理念上反対
│ │
│ └── 3. 防御力向上は必須(顔面はルールで実践、金的は限定的/任意)

└── ◆ 読者へのメッセージ:

├── 言葉の重みと実践の価値
└── 真摯な探求と他者への敬意の重要性